2008年2月11日月曜日

メジャー主な登場人物

茂野吾郎(以下wikipediaより)

ポジション:投手
投打:右投右打(~小学生)→ 左投右打(中学生~)
背番号
1(三船リトル、三船東中学)
1→10→1(聖秀高校)(アニメでは1→10)
56(メンフィス・バッツ)
25(W杯日本代表)
誕生日:11月5日
血液型:B
身長/体重180cm.75kg
握力:右70kg.左90kg

主人公。常に野球ひとすじで、まっすぐで熱い性格。そのあまりのひたむきさゆえ生意気で自分勝手なところもあるが、すべては野球への情熱からである。「エースで4番」タイプの選手で才能には恵まれているが、それ以上に努力を怠らない。闘志を前面に出して常に全力で相手を倒そうと熱くなるが、寿也のような策に長けたものの術中にはまると一気に冷静さを失わせ一人相撲の暴走になることも多い。だが幸いにも小・中・高・渡米後いずれの時期にも的確なストッパー(ほとんどはキャッチャーがその役を担う)がおり、吾郎を精神的に支えてきた。それにより寿也の頭脳作戦が通用しなくなり始め、運や流れを味方につけることで多くの場合に中盤以降に猛烈な追い上げを見せる。チームメイトに対する思いやりや責任感は強く、野球以外でも清水薫の看病をしたりと心根は優しいが、口の悪さが災いすることが多い。恋愛に対しては鈍感。古風な面もあるが、吾郎は清水を本当に好きで大事にしている。 また、怪我を悪化させるのを承知で投げ続けるなど、無茶をしやすい。自ら望んで逆境に身を置こうとすることが多く、試合でもピンチになればなるほど本領を発揮する、超進化型のピッチャー。ややスポ根タイプともいえる。

怖いもの知らずな性格どおりピッチングも大胆不敵で、力あるストレート(ジャイロボール)一本で相手をねじ伏せる。吾郎の球は、ただ単に速いだけではなくキレがあり、またその場面場面でのモチベーションも球に乗せてくるために打たれても滅多に本塁打にならない。それどころか、真芯でとらえたはずなのにバットを折るほどの球威、キレをもつ。中学時代は軟球でバットをへし折ったこともある。ただし弱点もあり、絶妙な体のバランスで投げているために何十球に1球の割合で棒球になる。 バッティングについても、父親譲りのセンスを持っている。持ち前の集中力・負けん気・勝負強さもあり、度重なって重要な場面でホームランを放っている。その反面で、バントは苦手のようである。
尚、理想とする究極のプレーヤーは、『打って守って走れ、三振も取れるプロ野球選手』だと言っている。また、野球以外にもサッカー卓球等も上手く、総合的な運動能力の高さをうかがえる。

来歴
幼稚園編
プロ野球選手の父・本田茂治に憧れ、幼少時からボールを握って育ち、5歳にして三船リトルの安藤監督を驚嘆させる。父・茂治がジョー・ギブソンのデッドボールで死亡すると、婚約者だった吾郎の幼稚園の先生・星野桃子に引き取られて育つ。

リトルリーグ編
4年生になると三船リトルに入団。この時点ですでに球速は110km/h前後(商店会チームの推測)はあった。人数ギリギリの士気がないチームに清水、小森、沢村を誘い、解散寸前のチームを救う。そして
トーナメントを勝ち進み、肩を痛めながらも日本一の横浜リトルを破る。その後、義母である桃子と茂野英毅の結婚に伴い福岡へ転校。この時に、苗字が本田から茂野になった。しかし博多リトル(外伝では博多南リトル、アニメでは福岡リトル)で肩を壊してしまう。英毅のすすめで右投げから左投げに転向する。

三船東中学校編
中3のときに故郷へ戻り、三船東中学に転入し野球部へ入部。しかし本来右利きの吾郎に左利きではまったくキレがない棒球であると、幼なじみの佐藤寿也に指摘される。だが、養父英毅の指導もあって短期のうちに見事に克服。この頃、吾郎の左腕はいつの間にかジャイロリリースを習得していた。地区大会3回戦では寿也のいる友ノ浦中学と対決する。海堂高校の特待生になることに執念を燃やす寿也の心理作戦にはまり苦戦するが、バッテリーを組む小森の助言により冷静さを取戻す。最終的にはマウンドに上がった寿也と対決するが、その球は以前の吾郎と同じくキレのないものであったためサヨナラ本塁打で破る。進路については寿也と黄金バッテリーを組んで打倒海堂を考えるが、県大会1回戦で海堂付属中の眉村健に完膚なきまでに抑えられ打ち込まれ、19-0のコールド負けで完敗する。これにより自分自身が海堂野球部でのし上がらねばと思うようになり、寿也たちと海堂進学を目指す。

海堂学園高校編
その後、海堂学園高校野球部のセレクションを受けて合格。入学後、3軍「夢島組」での厳しい鍛錬、さらにピッチャー適性が無いと周防監督に指摘され外野での遠投などで地肩を作り上げついにジャイロボールを完成させる。このときすでに球速は140kmを超えていたと予想される。2軍に昇格した時の歓迎試合では眉村や薬師寺などのライバル相手にジャイロボールで三振の山を築き、勝ち投手に。2軍トレーナー早乙女泰造の指導によるウェイトトレーニングなど科学的なトレーニングにより球速150km/hを超えるジャイロボールを投げるようになる。その後の1軍との壮行試合では確認できる最速球速155kmを投げた。マニュアル野球への反発と最強海堂を倒したいとの強い思いから、2年の夏に自主退学する。

聖秀学院高校編
海堂の野球部長・江頭哲文の妨害工作で野球部のない高校への編入を余儀なくされる。吾郎は野球部の無い聖秀学院高校に編入し、数少ない男子生徒を集めて自らの手で野球部を創設。だが3年の春、またもや江頭の妨害に会い、海堂2軍との練習試合で右足首に靭帯断裂と骨折を負う。しかし、夏の大会では何度も痛み止めを打ってまで出場。県大会の準々決勝で寿也率いる海堂高校と対戦する。吾郎自身認識していた弱点の”ぬける”球を攻略されたり、田代の弱気なリードをハッタリで翻弄したりと寿也の策にはまる上に、吾郎の怪我した足を苦しめる江頭のバント作戦に苦戦するが、いずれも誰も予想し得なかった吾郎の未知なる力を引出すだけでなく、チーム全体の士気を高めることになり逆転するまでになるが、最後は足の痛みもあってか力尽きボークでサヨナラ負けとなる。

マイナーリーグ編
高校卒業前、父を死に追いやったギブソンが今もメジャーで活躍し、吾郎との対戦を心待ちにしていることを知る。巨仁と横浜からのドラフト指名の打診を断って単身渡米し、メジャーリーグ・サーモンズのトライアウトを受け合格。メジャーキャンプに合流するが、打ち込まれ3Aクーガーズに降格。さらに、父・茂治に対して暴言を吐いたギブソンJr. と乱闘を起こして解雇される。
その後、3Aメンフィス・バッツに入団し、クローザーとして活躍。ロースター枠でのメジャー昇格を言い渡されるが、プレーオフにギブソンJr.が出ることを知って故障と偽り3Aに残留。ギブソンJr. のいるオクラホマ・ファルコンズを倒し3Aで優勝した。そのプレーオフの第1戦の際、ギブソンJr. に投じたストレートが102マイル/h (164km/h) を記録している。
帰国後、清水と聖秀時代に交わした約束のサインボールを渡し、清水薫との初デートで告白し恋愛関係になる。(吾郎も、吾郎なりに清水を意識していたらしい)

ワールドカップベースボール編
その後、ワールドカップ(W杯)の開催を知り、一足飛びでの日本代表入りを目指してバッティングピッチャーを志願し父親のコネで日本代表の沖縄キャンプに参加。メジャーリーガーの鈴木コジローに単調な投球を指摘され、野呂の指導もありジャイロフォークを習得する。そこで大木明監督に認められ、練習試合相手のヤングジャパンに抜擢され日本代表と戦う。コジローには痛打を浴び、自分の力を痛感してアメリカに戻る。
W杯アジア予選後、投手野呂の故障・アメリカでのクローザーの実績・コジロー、松尾らの推薦もあって日本代表入り。クローザーを任され、期待を裏切らない活躍をし続けている。世界各国の猛者たちと対戦し、シルヴァ、イ・スンナムなどの強打者、そしてメジャー最強打者、バーンズからも三振を奪ったが、最後には162kmのジャイロボールでギブソンJrのバットをへし折るもホームランを打たれ、敗戦投手となった。敗戦のショックを整理できたか否か、空港での清水を見送る時にはキブソンJr.へのリベンジを彼女に誓う。

メジャーリーグ→マイナーリーグ編
ワールドカップベースボールでの実績が評価され、メジャー昇格し、ホーネッツに登録される。その初マウンドで、メジャーリーグ史上初の実績となる初登板でノーヒットノーランをあわや達成しようかという実績を見せるが、W杯決勝で敗戦したショックから「イップス」状態に陥っており、治療のため早くもバッツに戻ることとなった。

今日はたくさんやります。ながいですがすいません

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